自分の可能性を狭めていた
工藤 紘子さん 測量業・建設コンサルタント業
秋田県立能代高校を卒業後、筑波大学院生命環境科学研究科地球科学を専攻。その後、測 量業・建設コンサルタント業に従事。また、キャリア教育活動を行うNPO法人アスデッサンで中高生向けに講演会を行っている
自分が中高時代、悩みという悩みを感じたことはありませんでした。しかし、社会人になった今、中高時代を振り返ってみると私は私自身の「生き方」を狭めていたかもしれません。「生き方」というと、大きな悩みに聞こえるかもしれませんが。
中学時代の話をすると、私の周りの友達は髪を染め、スカートの丈を短くしていました。実を言うと、私も彼女たちのように髪を染めてみたり、スカートを短くしてみたりすることに憧れていたのです。ですが、私がそのようなことをすることはありませんでした。
もしかしたら、誰にもあることかもしれませんが、私には、自分が思う「私像」というものが明確にありました。その「私像」の私は真面目な学生であり、髪を染め、スカートを短くするようなある種自分を飾ることをしてはいけないと考えていたのです。滑稽に思えるかもしれませんが当時の私は「私像」に忠実だったのです。
高校時代も私はこの「私像」に背くことができませんでした。私はバスケ部のキャプテンを務めており、キャプテンを務めるかからには、練習は人一倍頑張らなくてはいけないと思っていましたし、チームメイトの前で弱音を吐いてはいけないと思っていました。必要以上のプレッシャーを感じていたのかもしれません。
今でも覚えているのは高校最後の試合後のことです。私たちは試合に負けチームメイトは皆泣いていました。しかし私は泣きませんでした。泣かなかった、というよりむしろ、泣けなかったのです。キャプテンを務める「私像」は私がチームメイトの前で泣くことを許さず、チームメイトの前で気丈に振る舞うことを強いたのです。最後の試合でみんなと一緒に泣いて感情を共有していればと今でも後悔しています。
中高時代の私は総じて私はこうでなければいけないと「私像」を作りあげ、自分の可能性を狭めてしまいました。