書道を通じたコミュニケーションで、日本の魅力を世界に発信。
小林 優一さん (26歳) 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科
愛知県生まれ。慶應義塾大学看護医療学部卒業後、慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科に在籍。専門は医療政策。5歳から継続している書道で、これまでに6度の日本一の賞を受賞。2015年4月には世界経済フォーラム(通称ダボス会議)のグローバル・シェーパーズに選出され、20代の日本代表として活動している。現在、慶應義塾大学博士課程教育 リーディングプログラム オールラウンド型リサーチアシスタントへ従事している。
野球部と大学受験。 両立を可能にした二つの秘訣。
高校時代は、野球部の活動と大学受験のための勉強の二つに本気で取り組みました。
大学受験の志望校は慶応義塾大学。小学校の頃に家族で野球の早慶戦を観戦した際、応援席と選手たちが一体となって会場がこだまする様子に圧倒され、この大学に入りたいと思ったことが志望のきっかけでした。
慶応義塾大学に入るというビジョンをもったことは、受験勉強を乗り切る上での第一の秘訣でしたね。高い目標があれば、それに向かって自ずと努力する必要が生まれるからです。
しかし僕には、野球部で甲子園を目指すというもう一つの目標がありました。そのため、部活と受験勉強をいかに両立するかが課題となったのです。
僕がその課題に対して出した答えは、毎朝5時半に起きて学校へ行き、勉強をするということでした。授業が終わってからは練習だけでなく、ジムにも通っていたので、勉強時間を確保するには早起きするしかないと考えたのです。
雨の日も風の日も、毎日欠かさず5時半に起きて学校へ通いました。この継続するということが第二の秘訣です。毎日早起きして勉強しているということが自信となり、部活との両立を可能にしたのです。
その結果、大学受験では慶応義塾大学の看護医療学部に合格することができました。努力が実ったと感じられた瞬間でしたね。部活では残念ながら県大会で負けてしまいましたが、最大限の力を出し切ることができたと思っています。
「ビジョンを持つこと」と「継続すること」。この二つの力の源となったのは、五歳の時から現在まで家族(兄弟3人と父母)で続けている書道でした。書道を通して、「仁義礼智信」などの“人を思う心の力”を学び、これまでに、150以上の全国大会で特別賞をいただきました。
書道で常に目標をもち、集中してその目標を必ず成し得る習慣を身に付けていたことが、慶應義塾大学で勉強したいという目標の達成につながったのだと思います。
恩師との出会い。 グローバル視点をもつ重要性。
僕は小さい頃体が弱く、入退院を繰り返していたこともあって、患者さんに寄り添うことのできる医療の重要性を感じていました。また母が書道の講師をしていたことから、療養の一貫として、書道を通じて人と触れ合い、心と体を鍛える書道セラピーという活動を経験してきました。
これらの経験から、大学では看護医療学部に入り、医療政策を学ぶことにしたのです。大学で野球を続けるかどうかは悩んだのですが、高校時代にやり切った思いが強く、次の道に進もうと考えました。
大学二年生の時、僕の人生に大きな影響を与える出会いがありました。それはゼミの教授である竹中平蔵先生です。
竹中先生からは、グローバルな視点でものごとを考える重要性を教わりました。授業では英語でディスカッションを行い、日本人として自信を持って英語を話すようにと常々言われましたね。世界経済フォーラムの存在を知ったのもこの時でした。
まずは地域でリーダーに。 グローバルリーダーへの道。
今は、「地域でリーダーになれない人が世界でリーダーになれるわけがない」という信念のもと、まず地域でリーダーになるための活動に取り組んでいます。
具体的には、医療ボランティアのサークルで山梨県や長野県など、100か所以上の高齢者施設を訪れ、書道セラピーを実施してきました。書道を通じたコミュニケーションにより、高齢者のみなさんが人とのつながりを感じることができるよう努めてきましたね。
こうした活動が認められ、2015年9月には世界経済フォーラム(通称ダボス会議)の日本代表であるグローバル・シェーパーズに選ばれました。ダボス会議では、32歳以下の若者が集まり、世界共通の課題について話し合います。
僕はそこで書道を通じた社会貢献について、世界に発信しました。日本を世界に発信していくことの大切さを感じましたね。
想いが伝わり、広がるつながり。
自分の行っている活動について誰かと話す時はとても楽しいですね。本気で取り組んできたからこそ、伝えたいビジョンやパッションがあります。そのため、人に話してそれが伝わった時にはやってきてよかったと思います。
メディアからの取材も同じです。僕の活動が掲載された新聞を見て、「次はぜひうちでやって欲しい」と次の活動につながることもありますし、地元の愛知県に住む祖母から電話がかかってきて「新聞見たよ」と言ってくれることもあります。
僕は書道を始めとして、家族のつながりを大事にしてきたので、身近な人に自分の活動が伝わることはとても嬉しいですね。
自分を発信することの弊害。 誤解とひがみ。
一方で、自分の活動を発信していくことの弊害もあります。まずメディアに取材していただく際、こちらの意図しない形で記事が書かれてしまい、それを読んだ人に誤解を与えてしまうことがあるのです。自分の伝えたいこととは違う解釈をされてしまうと、もどかしい気持ちになりますね。
また、世界経済フォーラムに参加したという冠が、自分を誇大化させてしまい、周りの人達からひがみの対象とされることもあります。謙虚すぎても活動にかける想いを伝えることができなくなってしまうのでバランスが難しいですね。
ただ、自分がここまで来ることができたのは、家族のおかげであり、書道セラピーで出会った高齢者の方々のおかげであることは常に忘れないようにしています。
60代までの長期展望。 「産官学」の舞台を渡り歩く道。
今後も、世界に向けて日本を発信していきたいですね。例えば医療分野では認知症の課題が世界共通のものとなっています。そこで日本が認知症課題克服の先駆けとなることで、どのように社会を変えていったか世界に伝えていくべきであると考えます。
そのために20代である今は、自分の軸を固める時期だと思っています。医療政策の分野で博士号を取得し、学術的な軸を身に付けるための活動に日々取り組んでいます。
そして30代には民間企業で働き、40代では行政の立場から、自分の目で社会の現状を見てみたいと考えています。さらに50代、60代にはそれまでの学びを活かして、人を育てる活動をしていきたいですね。
一つの目線に収まらず、「産官学」の舞台を渡り歩いた経験はきっと価値あるものになると信じています。